2013年02月16日(土)

「主はサムエルに仰せられた。『彼らの言うことを聞き、彼らにひ とりの王を立てよ』」Tサムエル8:22 

      

イスラエルの民が、サムエルに王を求めた。他の国民のように自分
たちも王が欲しいと。それは、主の御心ではなかった。民が「どう
しても」と要求した時、主は、要求を聞き入れよと言われた。それ
は、サムエルを退けたのではなく神を退けたのだと。

主はサムエルに彼らに厳しく警告し、王の権利を告げるようにと。
しかし、それでも民は、どうしても王が欲しいと言い張った。する
と主は、王を立てよと言われた。
時に、自分が肉で計画した事がうまく行く。思い通りに、画策通り
になる時に、これは神が成功させて下さった、神が認めて下さった
のだと思うが、それは大きな誤解だ。

神がどうしても行くという私たちに、自分の道を行く事を許された
だけだ。どれだけ警告しても、私たちが頑なに聞かない時、神は願
う通りの道を行かせられる。決して強要されない。そして、蒔いた
種を刈り取らせられる。辛い、苦しい刈り取りになる。その刈り取
りを訓練とし、学ばせられる。

自我を通すことが、いかに愚かであるかを身をもって知る。蒔いた
ものは必ず刈り取る。今、自分の道に行こうとしているなら、又、
主に祈らずに進もうとしているなら、立ち止まって祈ろう。方向変
換して御霊に従おう。御霊に従う事がどれほど祝福であり、平安な
喜びの道かを知る。

・・・・・・・・・・・・
主の警告にも関わらず、どうしても我が道を行くという時、行かせ
られる。しかし、苦しい刈り取りをする事になる。肉の欲望を満た
すところに、本当の満足と幸せは無い。御霊の導きに従えるよう祈
ろう。素晴らしい平安と喜びの刈り取りをする事になる。