2014年03月19日(水)

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」箴言16:18


サウル王は、最初は謙虚に神に仕え、民にも良く思われていた。ところが王位につくと、謙虚さを忘れ、心は高慢になり、初心から離れて行った。部下のダビデが戦いに出るや、連戦連勝だ。民の人気はダビデに向かった。女たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との言葉に、サウルのプライドはひどく傷ついた。ダビデへの妬みは憎しみへと増幅して行った。それは殺意へと発展して行く。

もしサウルが信仰に立ち、へりくだって、主を見上げていたなら、それらの誘惑から守られ、平安でおれたろう。自分が王位にいるのは、神による事であり、それは神の恵みであり、賜物だと受け取れただろう。ダビデのような忠実で、優秀な良き部下が与えられている事に、どんなにか感謝した事だろう。信仰により、神視点で見るなら感謝しかない。

しかしサウルは神を仰ぎ、神に従うところから離れた結果、プライド、世間体、人の目、虚栄心のとりことなった。屈折した感情は、妬みの対象であるダビデに向かった。その嫉妬は殺意となり、実際、ダビデに槍を投げて、突き刺そうとした。又、ダビデが荒野にいる事がわかると、何と三千人を引き連れて向かった。それも敵と戦うためではなく、一人の忠実な部下を倒すために。

神から離れ、肉の感情に、思いに、欲望に振り回される、悲惨な姿を見せられる。へりくだり、すべての道に主を認め、主に従う時、道をまっすぐにして導いて下さる。起こる状況に主を認めよう。そして主に従おう。その時、どんな状況であれ平安の中に置かれる。これに代わるものはない。
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肉の思いは高慢だ。肉に立つなら見えるところに惑わされ、最初の確信から迷い出てしまう。そういう弱い者だといつも覚えていたい。順境にも逆境にも全てに神を認めていよう。