2014年10月19日(日)

「彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたか らだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするの か。』と言えようか」Uサムエル16:10 


シムイという男が、ダビデに石を投げ、ダビデを呪い、罵倒した。
「血まみれの男、よこしまな者」と。余りの侮辱に、部下が、「首
をはねさせて下さい」と進み出たが、ダビデは、主が命じられたの
だから、放っておけと、報復を許さなかった。

主によるものだと、信仰によって受け止めた。ウリヤを殺害したダ
ビデだったが、無駄な血を流したくない。これは、神からのもので
あり、訓練だと、甘んじて受け入れた。「私の身から出た私の子さ
え、私の命を狙っている」シムイどころか、実子アブシャロムすら
自分に歯向かっている。そのためシムイの呪いも、神から出たもの
と受け取った。

状況でなく、神を仰ぎ見る、何とへりくだった心と態度であったろ
う。主は「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」、どのよう
な悲惨な状況の中でも、状況を変えようとあらがうのでなく、神の
前に正しい心でいるなら、それをも主が良い事のために計って下さ
る。ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを
良いことのための計らい」とされた通りだ。

相手の悪意でさえも、あなたのために益とし祝福と変えて下さる。
そうであれば、恐いものはない。あなたの目の前のその事態を「神
がされた」「神から出ている」と受け取る時、誰もあなたを損なう
者はない。誰もあなたを害する事は出来ない。あなたをキリストの
かたちへと変え、成長させて行くばかりだ。

・・・・・・・・・・・・・
主は、ののしられても、ののしり返さず、正しくさばかれる方にお
任せになった。正しくさばかれる方がおられる。その方にゆだねて
生きることができる。主の視点で、御言葉によって判断し、立てる
よう祈ろう。祈りなくしてできない。主が助けて下さる。