2014年12月18日(木) 「・・わたしの時はまだ来ていません」ヨハネ2:4
「・・わたしの時はまだ来ていません」ヨハネ2:4
すべての事において、「神の時」があり、主も「時」を非常に重ん じられた。「わたしの時がまだ満ちていないからです」「見なさい。 時が来ました」。私たちの信仰生活も、何事においても「時」があ る。カナの結婚式の真っ最中に、欠かす事の出来ない、ぶどう酒が 無くなってしまった。大変な失態で、式は丸つぶれだ。その時、母 マリヤは、まず主に告げた。 主ならすぐに何とかして下さると。その時、主は「わたしの時はま だ来ていません」と答えられた。私たちはいつも、「早く!今、す ぐに!」答えを期待する。すぐに答えが欲しい。しかし、マリヤは、 自分でぶどう酒を準備しようとはせずに、事態を主に委ねた。する と主は奇蹟のわざをして下さった。 サウル王は、時を待てないで、失敗した。ペリシテ軍の攻撃が来た 時に、遅れて、来ないサムエルの到着を待つ事が出来ず、自分でい けにえを献げた。しかし、いけにえは祭司しか献げる事ができない。 この事のために、サウル王は、王位から退けられた。 アブラハムも、神の時を待てないで失敗してしまった。子孫を与え るとの、神の約束を受けたが、待てども〃なかなか成就しないので、 肉の思いで、女奴隷ハガルによって、子供を得た。神の時を待てな かった。自分で、事を成し遂げた。しかし、肉で行なった事は、大 きな問題を生み出してしまった。 神の時を待つ事が、信仰だ。忍耐して、待ち望もう。神の時が満ち ると、ひとりでに事が動き出す。あんなに事態が微動だにしなかっ たのに、動き出すから驚きだ。待ち望もう。 ------------ 疑わず行うことが御心か待つことが御心かよく迷う。御心はどこに あるのだろう。マリヤのように問題の中にまず主を認め、主のご計 画を認め、動くべき時を悟れるよう祈っていこう。