2002年04月17日(水)

「わたしの枝で実を結ばないものはみな、もっと実を結ぶために、刈り込みをなさいます」(ヨハネ15:2)

ある牧師は小さい時にケガをする
度に、母親が「痛いのは良い事、
痛いのは良い事」と言ったのを覚
えている。痛い事は回復の第一歩
だからだ。やがて、彼が牧師にな
り、罪のメッセージが厳し過ぎる
と言われた時、彼は「痛いのは良
い事、痛いのは良い事」と言った。
霊的な癒しのためには罪の自覚が
必要なのだ。痛い事は、御言葉
に従わない事に対する神からの
懲らしめかも知れない。しかし、
痛い思いをする時、神の目的を
誤解してしまう。そうではなく、
自分の生活に不従順は無いか、
又、別の理由をよく考えてみる
べきだ。痛みは、私達の生活が
もっと実を結ぶための刈り込み
かも知れない。主はもっと実を
結ぶ事を臨んでおられる。それ
が神の栄光を現わすことになる
のだから。もし今あなたが痛い
所を通っているなら、悲しみ、
苦しみ、試みの中で多くの学び
を得て、実りの多い者にしたい
と神は願っておられる。