2015年08月19日(水)

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」マタイ5:12


     
       
ある人が、職場で、皆の前で面と向かって、批判され、きつい言葉
で攻撃された。それが自分としては、理不尽で、なぜそんな事を言
われなければならないのか、納得が行かず、ひどく傷ついた。更に、
人々の面前でもあり、プライドも傷つき、赦せない思いで一杯にな
り、怒りと憎しみが湧き上がった。しかし、赦せない思いは、相手
でなく自分が苦しい。苦しくてたまらない。心が重く暗く、悶々状
態だ。

しばらくして、部署替えがあり、その相手は目の前からいなくなり、
顔を合わす事も無くなった。しかし、目の前にいなくなっても、憎
しみは無くならず、辛くてたまらなかった。赦せば、自分が自由に
なる事がわかる。それなら赦せば良いと思うのだが、赦せない。忙
しい時は紛れているが、時間が出来ると、ふっとよみがえり、心に
影を落とす。楽しい時も楽しくなく、牢獄の囚人のようだった。


苦しくて、主の御前に行き、何もかも心のありのままを打ち明けた。
赦せない事、しかし苦しくて解放されたい事・・葛藤があったが、
このままではいたくない。赦すことを決心した。「赦します。助け
て下さい」と、主に意志を向けて、祈った。すると奇跡が起こり、
心の重苦しさが消えて、楽になった。嬉しくて感謝でならなかった。
赦さない心は、相手でなく、主と自分の間に隔たりをつくっていた
事に気づかされた。
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敵対する思いがあれば御霊の光の中にはいない。自分自身が
闇の中、とらわれ人だ。怒りは相手に向けず主に持って行く
なら光の中だ。主が新たな思いを与えてくださる。