2015年09月18日(金)

「あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」マタイ20:23



ヤコブとヨハネは、主に、御国で右と左にと、右大臣、左大臣の地
位を求めた。又、その母が彼らのために、主のもとに来て、ひれ伏
して願った箇所もある。親子で高い地位を願っている。そしてこの
事を聞いた他の弟子たち十人が腹を立てた。ということは、彼らも
同じように考えていたからだった。自分たちが出し抜かれた事に腹
を立てた。主の十字架を直前に控えていたにかかわらず。

又、弟子たちは「だれが一番偉いかと論じ合っていた」。主が十字
架に向かう、その時にも、弟子たちの心は「一番偉いのは誰か」
「自分が、自分が」でいっぱいだった。弟子たちだけでなく、この
誘惑は誰にでもある。相手を、自分の思い通りに動かしたい自己中
心な肉の欲求がある。これは相手を支配することになる。

又、肉の性質には「人から評価されたい」「人から認められたい」
「人から賞賛されたい」「人の上に立ちたい」との誘惑がある。そ
れが強くなると、周囲が競争相手になってしまう。張り合いが出て
くる。そこに愛は無い。「自分が、自分が」の世界だ。

そのため主は「先に立ちたいと思うなら、しもべになりなさい」と
言われた。そして「互いに愛し合いなさい」と。主、自らがしもべ
となって、自分を無にして、十字架の死にまで従い、私たちの救い
の道を開かれた。それによって私たちに愛がわかった。この主を見
続けて、主のお心に従って行けるように。
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人目につかない働きがいかに栄光に富んだものかは、人の評価に目
を向けていては悟れない。いつも仕えられる者は寂しい。どこまで
も、しもべより仕えられたい者だからこそ吟味していたい。