2015年10月19日(月) 「そこでイエスは、パンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた」ヨハネ6:11
「そこでイエスは、パンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた」ヨハネ6:11
男だけで五千人、女、子供を入れると倍以上という、大勢の空腹の 人々を前にして、主はピリポを試された。「食べる物がない、どう しようか」と。ピリポは、手にある所持金で計算した。答えは、こ んなに大勢の人々に「不可能」だった。アンデレも、あるいは、主 は何かして下さると思ったから、お弁当を持っている人を探し回っ た。 少年がお弁当を持っていたが、しかし、こんなに大勢に小さな弁当 では、焼け石に水だ。到底無理、だめだと思った。一万人以上の群 衆、食べ物が無い、所持金も間に合わない、このような状況で、主 は「しようとしている事」が、解決策がすでにあられた。あなたが 今、このような窮地にあるなら、主はすでに「しようとしている事 を」持っておられる。 私たちに求めておられるのは「信仰」だ。主にはできるという信仰 だ。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」。そして、 「小さな」ものを用いられる。五つのパンと「小さい」魚を二匹だ。 今、不安な状況にあるだろうか。新しい環境、仕事、奉仕を前に、 自分は取るに足りない小さな者だと思うなら、主はその「小さな」 者をこそ用いられる。 たった二つのパンと小さい魚が、主の手に握られる時、人々への大 きな豊かな祝福として、用いられる。人々は満腹した。どんなに小 さくても何の問題も無い。その「小さなもの」を主のもとに携え、 献げよう。どんなに用いられるかは、驚くばかりだ。 ------------ 自分の目で見て、自分で判断することは、いつも主のしようとして おられる働きを妨げてしまう。状況や自分自身をサタンは見るよう に仕向けて来るが、信仰により主にそのままを献げて行こう。