2015年12月19日(土)

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、ど こにいるのか』」創世記3:9


アダムとエバはエデンの園で罪を犯した後、主の御顔を避けて身を
隠した。気がとがめるからだった。罪を犯すと、神から隠れる。心
に恐れが生じるからだ。何の妨げもない喜びと平安の交わりが破ら
れた。罪を犯した人間に、神の方から「あなたはどこにいるのか」
と呼びかけられた。

アダムは「裸なので恐れて隠れました」と答え、罪についてはいっ
さい言わない。「食べてはならないと命じた木から食べたのか」と
問われ、主は悔い改めの機会を与えられた。「ごめんなさい。食べ
ました」と言う事ができた。しかし、罪を認めるどころか、彼がし
たのは責任転嫁であった。エバが悪いと。

どこまでも罪を認めず、自分を正当化し、周囲のせいにして行く。
これは私たちにもある根深い肉の性質だ。殺傷事件を起こした犯罪
者が、自分の犯罪を親や社会のせいにする。よく見る光景だ。又、
日常生活でも、「あの人がああしたから、こうしたから」、あの人
のせい、親のせい、学校のせい、社会のせいにして、いつも自分は
被害者で、自分が悪いとは絶対に認めない。

そうして行くと、いつしか自分はいつも正しい、自分が間違いなど
犯すはずがない、となって行く。そして、常に他の人に責任を押し
つけて行く。そんな私たちに、主は「あなたはどこにいるのか」と、
あなたのあり方はどうなのかと、私たちを愛し、正しい方向へ、御
心へと導いて下さる。主に向いて、答えて行こう。

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「あなたはどこにいるのか」と、いつも主は問うて下さっている。
物理的場所ではなく、神との関係だ。何があっても御顔を避けず、
隠れず、主に顔を向け、主に向く時に、そこに豊かな赦しがあり、
平安がある。愛されている事を確認して行ける。