2016年01月19日(火) 「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」ヨハネ4:48
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない」ヨハネ4:48
主のもとに、カペナウムから王室の役人が来た。王の宮廷官吏で、 地位も富もあった。しかし、その地位と富をもってしても、どうに もならない事態が生じた。息子が病で死にかけていたのだ。財はあ る。幾らでも医者にかかれる。だが、どの医者も直せなかった。絶 体絶命の中、噂を聞き、この方なら何とかして下さるのではと、最 後の望みを託して30キロの道のりを必死の思いでやって来た。 「来て息子をいやして下さい」と願うと、主は、行くとも、行かな いとも言われず、「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、 決して信じない」と答えられた。「あなたがたは」であり、彼だけ でなく周囲の人々への言葉でもあった。奇跡を見なければ、主を受 け入れないと。見て信じる信仰だと。 役人は、続けて必死で「主よ」と、息子の癒しを願った。主は「帰 りなさい。あなたの息子は直っている」と言われた。すると、彼は、 ただ主の言葉を信じて、帰途についた。まだ見てはいないが、御言 葉を受け取り信じた。彼にとって、息子が直る事だけが唯一の関心 事であり、必死であり、「信仰」など、どうでも良いことだった。 しかし主は、主を信じる信仰へと彼を導かれた。御言葉に従い帰っ て行くと、途中でしもべから息子が直った事を聞いた。御言葉を聞 いた「同時刻」である事を知り、彼も彼の家族も皆信じた。息子の 危機により、主は一家を主を信じる信仰へと導かれた。私たちも御 言葉に従う時に、みわざを見る。そしてその度に信仰が強められて 行く。示された言葉に従おう。 ------------- 主の御言葉を信じて帰途につく、その信仰を主は与えてくださった。 一時的な癒し、人間的な解決も求めている自分を見る。主の御言葉 を信じ従う信仰を求めていこう。