2016年02月17日(水)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10


この「やめよ」は、「手放す」「手を引く」「頑張りを止める」と
の意味だ。何か突発事態が起こると、私たちのとっさの反応は、ま
ず「何とかしなくては!」だ。思いは駆け巡り、すぐに解決しなけ
ればとバタバタと行動を起こし、動き回ってしまう。又、驚き、慌
てふためいて、パニックに陥るだろうか。

主は「やめよ」=「まず、静まれ」と言われる。目の前の状況に、
どうしても、即、「自分が出て」対応してしまう。しかし主は、
「動くな」と言われる。「手を出すな」「自分の手のわざを捨てよ」
と。そして「わたしこそ神であることを知れ」と。つまり、「わた
しがする」「わたしが動く」「わたしが成し遂げる」と。

だから「その問題を、わたしに委ね、任せよ」と。自分で動くこと
は、主を妨げることになってしまう。まず動くことではなく、まず
祈り、主の御心を求めて、知ることが大切だ。自分の思いに振り回
されることを「やめて」、主のお心に耳を傾けよう。エリヤが、ホ
レブの山で、「主の前に立て」と言われた時、激しい大風、地震、
火があったが、そこに主はおられず、火の後に「かすかな細い声」
があった。

主の御声は細い小さな声だ。しっかり耳を澄ませて、その御声を聞
こう。全主権は主にあり、時、時期、機会、すべては、主の支配
と御手の中にある。主が動かれる。目の前のその問題を、主に任せ
て、安心していよう。「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコ
ブの神はわれらのとりで」だ。こんなに力強い後ろ盾はない。
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何とかしなくては!と頭は勝手に動き始め、そこで静まることが難
しい。その思いを主に告げ助けを主に求めよう。先へ先へと焦る気
持ちが守られ、次の一歩が必ず示される。