2016年03月19日(土)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれ が立ちはだかることができよう」箴言27:4


妬みは誰しもが持つ罪だ。サウル王のダビデへの妬み、律法学者た
ちの主への妬み、ラケルとレアの双方の妬み、ヨセフへの兄たちの
妬み・・枚挙にいとまがないが、私たちもどうだろう。職場で、同僚
が、後輩が、先に昇進したら?受験で友人は合格、自分は不合格な
ら?職場や学校で、人気のある人がいたら?妬みが湧くだろうか。

海上歩行のペテロのように、主だけを見ているなら、自由だ。しか
し主から目を離し、自分を見、人を見る時に、妬みが湧いて来る。
シーソーになり、相手が上がると自分が下がる。人がほめられると、
自分がけなされたと感じる。相手が下がると優越感を感じる。

なぜ傷つくのだろう。自我、プライドに触れて来る。自分の思い通
りにならない時、被害者意識になり、傷ついたと感じる。その結果
相手を傷つけて行ってしまう。弱さもある、あるがままの自分を認
める事ができないので、人への妬みに向かう。

主を妬む人々は、主を十字架につけた。ダビデを妬むサウルは、槍
で突き刺そうとした。兄たちはヨセフをエジプトに売り飛ばした。
この妬みはどうすればよいのか。主に解決がある。横から目を離し、
上を見上げる事が秘訣だ。

まずあるがままの自分が愛されている事、その愛をしっかり受け取
る事だ。主の愛をかみしめ、喜び、主の愛に生きる時、心に何にも
代えられない平安があるので、人とのどうのこうのが問題でなくな
る。そこから離れた途端、比較に向かう。

・・・・・・・・・・・
主に愛されている事、無条件の愛で、犠牲の愛で、決して変わるこ
とのない愛で愛されている、その事をいつも反すうし、目を離さず
一心に見つめていよう。そのために祈っていよう。目を離した途端、
ペテロのごとく「主よ」と即、助けを求めよう。つかんでいて下さ
る。