2016年04月18日(月)

「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」マタイ6:12




ある人が、対人関係で、傷つけられた相手を赦せない思いでいっぱ
いになった。怒りが湧くし、憎しみにもなる。心苦しい状態になっ
た。しかし「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなた
がたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたが
たの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」との御言葉があり、
更に悶々状態に陥った。

赦さなければと思うが、思えば思うほど更に怒りが湧く。赦せない。
腹が立つ。だが、自分はクリスチャンなのだから、赦さなければと
思う。が、幾ら頑張っても出来ない。歯を食いしばって頑張るが出
来るはずがない。祈ろうとし、祈っているのだが、相手の事を思う
と祈りの中で腹が立ってしまう。どうにもならず、心の内をありの
まま主に告げて行った。

「出来ません」「赦せません」「相手のあの言動をご存じですよね」
「だいたいから何であの人と出会ったのか」と不満や愚痴を告げて
いると、段々心の中が見えて来て、赦せないのでなく、決して赦し
たくない、赦そうとなどしない頑なな自我にぶつかった。赦そうと
するが、赦せないのでなく、本当は絶対に赦したくない自分。しか
し、ずうっと祈っている中で、あるがまま主に受け入れられている
事を感じた。

「あなたの道を主にゆだねよ・・主が成し遂げて下さる」。赦せな
い自分を主に明け渡した。その時から少しづつ〃変えられて、いつ
しか赦せている自分を発見した。自分が頑張ったのでなく、主が成
し遂げて下さった。まさに恵みを経験した。あるがまま主のもとに
行こう。
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赦せない相手の上に立ち、心の中で裁き続けていたい思いはないだ
ろうか。その自分は主に受け入れられ、あるがままに愛されている。
主の導きに従えるように祈っていこう。