2017年01月19日(木)

「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものを誰がまっすぐにできようか」伝道7:13 



ある人が、目に前に起きている状況は、自分的には良くないと思え、
懸命に状況を良きに変えよう、変えようと、必死に頑張った。祈り
つつ、懸命に努力した。しかしどうあがいても、状況は全く変わら
ず、やるべき事はやり尽くして、もう何の手立ても無かった。主と
交わろうと、あるがままの現状、そして心の内をことごとく祈り、
主の御前に静まっていた。

すると、ふっと全く違う見方ができたのだ。自分は、状況を変えよ
うとばかりしていたが、「神が曲げたものを誰がまっすぐにできよ
うか」とあり、神が曲げておられるのだと。その時、祈りが変えら
れた。状況を変えるのでなく、今の状況を受け入れる事ができるよ
うにと。

祈り続けていると、自分の心が変えられて、受け入れる事ができた。
その時に何と心に平安が満ち渡り、あんなに悪戦苦闘したのに、驚
くばかりだった。自分の思いばかりが強く、自分の願望に支配され
てしまい、神が見えなくなっていた。神に視点を置き、神を中心に
する時に秩序が正しくなり、その結果、平安と喜びに満たされる。

信仰人生には、突如色々な事が起こり、その時にはパニックになり、
動揺してしまう。しかし、その背後に、神のご計画がある。いつも
そこを見ていよう。神は常に最善をされる。「神が曲げたもの」を
受け入れて行く時に、私たちは必ず成長して行く。今、目の前に、
神が曲げたものがあるだろうか。まっすぐにしようと懸命だろうか。
受け入れられるよう祈ろう。
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祈っても変わらない問題、状況が何も動かないとき、これは自分の
問題ではないかと気付かされる。すると問題の受け取り方、対処の
仕方が違って見える。問題の中で主の御心に従えるよう祈りたい。