2017年06月18日(日)

「そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った・・そのあとで すぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた」使徒16:32



パウロは、アジアで御言葉を語る事を禁じられ、ビテニヤの方へ行
こうとすると、それも止められた。そこで残る西の方面に向かうと、
トロアスで「マケドニアに渡って、私たちを助けて」との幻により、
御霊の導きを確信した。

マケドニヤに渡り、ピリピの町へ行った。祈り場へ行き、そこにい
た女たちに宣教した。その後、占いの霊につかれた女奴隷から、悪
霊を追い出した。すると、儲ける手段を失った主人たちに、訴えら
れ、捕らえられて、投獄されてしまった。

むち打たれ、暗い奥の牢へ監禁された。御霊の示しに従ったのに、
祈ったのに、問題に会い、苦しみに襲われる。こちらに落ち度は無
く、ましてや宣教のために来たのに、投獄の身だ。一体どうなって
いるのか。これでは、どうにもならないではないか。しかし神の計
画は着々と進行していた。

主を信じ、すべてを主に委ねていた彼らは、牢獄で不平一つなく、
祈り、賛美した。それは囚人たちに大きな証しとなった。投獄によ
り、結果的にそこの看守が救われ、何と全家族が救われたのだ。ピ
リピの教会の核となって行った。神に間違いは無い。

ちゃんと従ったのに、あんなに祈ったのに、どうしてこんな事に?
との状況にあるだろうか。今は全体像が見えないが、神はご自身の
ご計画を、間違いなく進めておられる。信じていよう。続けて従う
なら、必ず思いを越えた主のご計画が成し遂げられて行く。

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主のみ思いは、人の思いと異なり、主の道は、人の道より高い。目
に見えるところは不可解であり、意味がわからずとも、主に間違い
は無い。自らの思いとは異なっても、主に最善のご計画があること
を見つめ、主を待ち望み、信仰を献げて行けるよう祈ろう。