2017年07月19日(水)

「あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません」ヤコブ4:14


いつも「主の御心なら」という意識は大切だ。自分の人生のあらゆ
ることに、へりくだって主を認めて行く事は幸いだ。何かをしよう
とする時に、自分の意志と神の意志はどうだろう。又、その動機の
部分はどうだろう。ある人が、ボランティアをしようと思った。し
かしその時「主の御心なら、このことを、または、あのことをしよ
う」との言葉があり、主のみこころはどうなのだろうと心探られた。

単に自分が良い事をしたいという「自分の思い」か。自分のプライ
ド、見栄なのか。自分の自己満足なのか。人の目を意識し、人の賞
賛の得たいがためだろうか。もっと別に本当にやるべき事があるか
も知れない。何かをしようとする時に、まず祈る事は大切だ。主の
みこころを求めてみよう。

人には、自己実現という欲もあるので、良い事だとしても、神の栄
光でなく、自分の欲望を満たすためにしてしまう。自分の計画が
「主のみこころなら」それをしようとの姿勢が大切だ。箴言19:21
“人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る”
とある。自分の計画をまずは祈りに持って行こう。

そして「主のみこころなら、私たちは生きていて」とあり、「明日
〜しよう」と言っても、明日の事はいっさいわからず、明日生きて
いるかどうかは、私たちにはわからない。主の御前にへりくだって、
主を求めて生きることが大切だ。
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一瞬でかき消えていく霧のように心もとない存在なのに、自分の願
いと努力で今日も生きていると思ってしまう。高ぶれる所は何処に
あるだろう。主に許されて任された一日をへりくだって歩みたい。