2017年11月18日(土)

「あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は その日その日に、十分あります」マタイ6:34


心配無用との意味は、雨の日のための備えをする事や将来に対する
計画、準備をする事が無用と言っているのではない。無計画や行き
当たりばったりが良いのではない。受験の備えをしようと思うなら、
当然計画を立てて、勉強をする必要がある。ここでの心配無用は、
不要な思い煩いのことだ。

ああなったら・・こうなったら・・と、ありもしない最悪のシナリオを
自分で描いて、不安と恐れ、思い煩いに落ち込む事だ。現実に起き
ている問題ではなく、妄想なので、主もどうする事も出来ない。こ
れが無用だと言っている。無用な思い煩いをしないために、神に思
い煩いを委ねることが大切だ。

私たちを消耗させてしまうものに、過去の後悔がある。済んでしま
った事はどうしようもない。しかし延々と、あの時ああすれば、こ
の時こうすればと、くよくよと思い煩う。又、先行きが不安で不安
でたまらない。進路の不安、対人関係の不安、経済的不安、健康の
不安、老後の不安・・際限が無い。亡霊の心配で消耗しきってしまい、
今日なすべき事が出来なくなってしまう。

労苦はその日その日にあるとは、今日のなすべき事があるという事
だ。過去をくよくよし、将来を思い煩い、目の前のなすべき大切な
御心を流してしまう。「委ねることができません」「思い煩いがど
うにもなりません」まずあるがままを主に告げて、祈ろう。祈りに
答えて、委ねられるよう助けて下さる。

・・・・・・・・・・・
頭ではよくわかるのだが、委ねることが出来ない事が問題だろうか。
自我が頑なに思い煩いを握って放さない。「委ねようとしない自分
がいます」とありのまま祈ろう。心配が来る度に「主よ」と祈りに
持って行こう。その祈りに答えて下さる。