2018年01月19日(金)

「自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます」ヤコブ1:24



みことばを実行せよと言っている。ただ聞くだけで、実行しないな
ら、自分が欺かれてしまうと。みことばは、自分を映し出す鏡だと
言っている。鏡を見る時、自分の姿が見える。そこで髪の乱れを直
したり、服装をチェックできる。しかし鏡に映った姿を見て、何も
せずそのまま離れたらどうだろう。

髪は乱れたまま、服装はちぐはぐなままだ。そして忘れてしまうと。
「自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであった
かを忘れてしまいます」と。つまり自分には何の問題も無しになっ
てしまう。直すべき点が映し出されるが、スルーするので、そのま
まで自分は何も変わらない。私たちの心の内も同様だ。自分で自分
の心の中はわからない。

自分の本当の姿はわからない。鏡があって初めてわかる。みことば
が自分の姿を映し出してくれる。しかしその時に、御言葉に向き合
い、主に従って行くなら自分が変えられる。しかし立ち去るなら、
忘れて、何の問題も無い、すべてOKとなる。自分が変えられる事
が無い。

御言葉の下に自分を置き、映し出された自分の姿を見て、立ち去る
のでなく、その御言葉に従おう。悔い改めかも知れないし、矯正か
も知れない。新しい示しかも知れない。その時、自分が変えられて
行く。「その行ないによって祝福されます」成長が与えられて行く。
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御言葉に向き合い考えると、一つ一つ悔い改めて整えなければなら
ない事ばかりだ。自分の今の状態を知ると痛いが、心底へりくだら
される。一つでも主の御心に成長できたら何と祝福だろう。