2018年04月18日(水)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1




信仰人生の中では、苦しみ、悲しみ、嘆きの時、喜び楽しみの時・
・様々な時がある。苦難の中では、八方塞がりで、何をどうしてよ
いのかわからない。心が苦しいばかりだ。又、離別、病、信頼関係
の崩壊・・様々な悲しみを経験する。又、入学や入社試験に合格、
結婚、田畑の豊作、経済的繁栄・・喜びも経験する。

だがそれらは未信者にとっては、すべて偶然であり、喜びがあれば
ラッキー、ハピーであり、悲しみ苦しみは、不運だった、巡り合わ
せが悪かったという事になる。そこに神は無く、意味は無い。しか
し主を信じる者にとっては違う。神のなさる事は、すべて時にかな
って美しいのであり、苦しみや悲しみ、喜びの中に、神を見て行け
る。

すべてが神のなさる事であり、すべてに意味がある。そしてそこを
信じて行く。様々な痛い事、辛い事が起こる。私たちの側からは刺
繍の裏を見る事になるので、ぐじゃぐじゃで、秩序も何も無くただ
の混乱状態、カオスだ。しかし神は表を見ておられ、問題無く順調
に秩序立って事が運んでいる。素晴らしい作品が出来上がりつつあ
る。

私たちはプロセスの間では理解不能だが、後に美しい神のご計画で
ある事を見い出す。美しいという事は、そこに感動があるという事
だ。喜びの時も悲しみの時も、いつも主が共におられ、その中で新
たに〃主を知り、主を経験して行ける、それこそが一番の幸いであ
り、喜びだ。
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種を蒔けば芽吹くまでの時を信じて待っている。花の芽が土の中か
ら出てくるのは楽しみだ。自分の時の所有権も神にお渡ししたい。
そして今を主と共に喜んでいたい。