2018年06月18日(月)

「彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない」民数記14:9




出エジプトを果たし、民は、約束の地を目指して進んでいた。その
時に、モーセは、主からカナンに偵察を送るようにと命じられた。
それでモーセは12人の斥候をカナンに遣わした。彼らは偵察し戻っ
て来た。その結果、彼らの見解は二つに分かれた。10人は否定的意
見だった。

民は強大で、自分達はいなごのようで、とても攻め上れないと怯え
た。しかしヨシュアとカレブは、上って行って占領しようと、人々
を励ました。必ず出来るからと。民は、出エジプト時に、神の超自
然のみわざを経験していた。そしてカナンの地の約束も何度も聞い
ていた。

しかし、斥候の否定的言葉を聞いた途端、主を信じる事が出来なか
った。12人は、全く同じ状況を見た。しかし同じものを、信仰の目
で見るのと、肉の目で見るのとでは、こんなにも正反対の結論が出
る。新しい事を始める際に、8割方はまず出来ない事から、数え始
めるそうだ。そして納得の行く説明がついてしまう。

人間は肯定的より、否定的考えの方が強く、放っておくと、必ず否
定的方向へ進んでしまう。10人と民達は、神ではなく、状況しか見
なかった。しかしヨシュアとカレブは、神を見て、神の約束を見た。
彼らに導かれた人々は約束の地へ入って行くが、不信仰に陥った民
は皆、荒野で滅んでしまった。

神は、「不可能」だと、信じない人々と一緒に働く事が出来ない。
私達は否定的、悲観的に傾いてしまう。神の言葉に立ち、御言葉を
握り、御言葉で判断して行く訓練が大切だ。今、目が見つめている
のは、御言葉だろうか、状況だろうか。
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目の前を見る目と信仰の目、いつも二つの目で見ているが御言葉が
行けと言われるなら信仰を持って従う者でありたい。刻々と変わる
状況に飲まれず、主の平安がそこにある。