2018年07月19日(木)

「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです」マタイ20:1



ぶどう園の主人のたとえ話は、ペテロの質問への答えの中で語られ
ている。その質問は「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従って
きました。ついては、私たちは何がもらえるのか」だ。主はそれに
答えて「先の者があとになり、あとの者が先になる」と言われた。
若い金持ちの役人が、富を捨てる事ができず、主のもとを去った出
来事のあとに続いている。

それを見てペテロは、彼は去ったが、自分たちは何もかも捨てて、
従っているのだから、何をもらえるのかと。その言葉を受けて、主
はこの話をされた。これは天の御国の価値観であり、先の者があと
になり、あとの者が先になると。この世の価値観と正反対だ。主人
は、労働時間の長さに従い、ではなく逆の順で賃金を払い出した。

1時間〜12時間労働まで、何とすべて同額だ。早朝からの者からは、
怒りと不満が噴出だ。だが主人は何の不正もしていない。契約をき
ちんと履行している。天の御国はこの世とは全く違う。神の恵みが
支配する世界だ。受けるに値しない者に与えられる贈り物だ。そし
て「自分のものを自分の思うようにする」神の絶対的な主権の世界
だ。

「気前のいい」主人であり溢れるばかりに与えて下さるお方だ。
「天の御国は・・ぶどう園の主人のようなもの」ここでの主役は労
務者でなく「主人」だ。どうしても労務者側で見てしまうが。神の
御国は、神が崇められ、神の栄光のための場所だ。これが御国の価
値観だ。受けるに値しない者が受ける、恵みでおおわれた世界だ。
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神との関係には受けて当然の報酬などなく、受けるに値しない者が
ただで恵みを受けていて、全てに同じ救いが与えられている。何と
いう深いご愛だろう。