2018年10月18日(木) 「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」創世記11:7
「さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう」創世記11:7
ノアの洪水後、人類は新しい出発をした。全地は同じ言語であった。 問題無くスムーズに意思疎通ができていた。人々はシヌアルという 平地に定住した。神により、石の代わりに、れんがを作る技術が与 えられ、れんがと瀝青で建築物を作ることができた。肥沃な地に住 めて、建築の技術も与えられ、すべては神の大いなる恵みであった。 しかし、その神の恵みに感謝し、栄光を神に帰するのではなく、町 を建て、天に届く塔を建てて、自分たちの名を上げようとした。自 分の栄光、自分の名誉、自分の賞賛、自分が神にとって代わった。 神の恵みで賜った物や能力を、自分の栄光のために使うようになっ た。自分たちの偉大さを見せつけるために建てようとしたのだった。 これが「神のようになろうとした」アダムからの罪そのものだ。 「そのうちに」「我々は、頂きが天に届く塔を建て」、最初は良か ったのであろうが、「その内に」方向が狂って来た。神は言葉を混 乱させ、意思疎通が不能にされた。その結果、塔の建築は不可能に なり、「彼らは建てるのを止めた」塔建築は失敗した。 神が阻止された。そして人々全地に散らされた。原因は神への高ぶ りであった。私たちが、互いに意思疎通ができない時、そこに「高 慢」が潜んでいるのではないか。自分が神の座につき、自己義、自 己防衛、自己主張・・していないか。真の一致は、愛とへりくだり にある。そこには必ず御霊の喜びがあり、神の栄光が現れる。 --------------- 自分の力でもできるとの高慢が、神の御心や御言葉より、手っ取り 早い人の助言や自分の方法を優先させてしまう。アダムの罪が自分 の内にあることを覚え、御霊の一致を求め祈って行こう。