2019年01月19日(土)

「イエスは彼女に答えて言われた。『ああ、あなたの信仰はりっぱ です。その願いどおりになるように』」マタイ15:28


悪霊につかれた娘を持つ母親が出て来る。彼女は一心に「主よ。ダ
ビデの子よ」と、娘の救いを必死に、主に叫び求めた。主は、心か
ら叫び求める願いに、答えて下さるはずと思う。だが、主は一言も
全く答えられない。切なる、心底からの求めに沈黙されたままだっ
た。

その時、弟子たちがうるさがり、イライラし、不満を言って来たの
で、「イスラエル以外には遣わされていない」と言われた。母親は
その主の言葉で悟った。自分は異邦人であり、ダビデの子ではない。
ダビデの子よ、という資格は自分にはない。それで、「主よ」とだ
け、更にへりくだり、「ひれ伏して」助けを願った。

身を投げ出し、へりくだり、ひれ伏した。それは、主の答えを引き
出した。しかし答えは「子供たちのパンを小犬に投げてやれない」
だった。それは彼女への試みであり、小犬と認めて、尚も求めて来
るかどうかを見ておられた。彼女は「主よ。そのとおりです」と小
犬だと認めた。

普通は認められないものだ。自分では「いえいえ私などは」と謙虚
な言動をするが、人から「その通り」などと言われたものなら、大
変だ。彼女には信仰があった。小犬でも、豊かな食卓からのパンく
ずはもらえる。主は必ず恵みと慈しみを下さると信じきっていた。
主はその信仰を「立派だ」と驚かれ、とても喜ばれた。その時、娘
は癒された。

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何の資格も無い者に、いっさいの資格の無い者に与えられるのが、
あわれみだ。そうであれば、どんな状況下でも、あわれみだけは
求める事ができる。そして「主のあわれみは尽きない」と、豊かに
あわれんで下さる。何と有難い、嬉しい事だろう。