2019年02月16日(土)

「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」詩篇23:1


主は私の羊飼い。私は乏しいことがない、とある。別訳では、私は
欠けることが何も無いとある。何の欠けもないと。欠け自体は、人
生で幾らでも経験して行く。様々欠けて行く。親を見送って失う。
リストラで職に欠ける。突如の経済的困窮で金銭に欠ける。段々と
体力に衰えて行く。欠けるものに目を留めていると、あれやこれや
と欠けている。

しかしダビデは主に目を留めた。羊飼いであられる主、羊である自
分。私には羊飼いが常に共におられる。小さな子供はどんな状況の
中でも、親がいれば十分だ。そこは幸せの場所だ。どんなに厳しい
境遇であろうと、親さえおれば心は満たされている。安堵と喜びが
ある。私たちもどんな時にも、羊飼いである主が共におられる。

ダビデは無いものを数えたのでなく、今、与えられているものに感
謝した。今、現在すべての必要は与えられている。明日の心配は無
用であり、明日は、また明日の必要を与えて下さる。羊は近視眼で、
羊だけだとすぐ迷子になる。しかし羊飼いが進路を導き、軌道修正
し、正しい道へと導く。羊飼いがいる限り、私たちは決して道に迷
うことはない。

しばしば、私たち自身が羊飼いになってしまう。すべての荷が自分
の肩にかかり、不安、心配、思い煩いで身動きが取れない。私は羊
であり、すべての責任を持ち、養い、導き、支えてくれる羊飼いが
おられる。羊飼いが心配して下さっている。委ねて安堵しておれる。

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羊ではなく、しょっ中、羊飼いになってしまい、自分が、自分がと
すべてを肩に負い、行き詰まってしまい、へしゃげてしまう。重荷
にあえいで、苦しい時は、羊飼いを思い起こそう。愛し慈しみ、最
善を考え、心配して下さっている。ご愛と真実を新たに知る機会だ。