2019年09月18日(水)

「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40




そろそろ夕暮れという頃に、主はガリラヤ湖で弟子たちに「さあ、
向こう岸に渡ろう」と言われた。弟子たちと共に舟に乗り込むや、
主は疲れのため、とものほうで熟睡された。その時に大嵐が来て、
弟子たちはパニックに陥った。漁師で、よく嵐にも会い、嵐に慣れ
ている彼らでさえ、身の危険を感じるほどのひどい大嵐だった。

舟は水でいっぱいになり、このままなら沈没だ。溺れ死んでしまう。
泳ぎの達者なベテラン漁師が、恐怖を感じるほどだった。しかし主
は、全き平安の中で泰然自若として眠り続けておられた。なぜそう
できたのか。「向こう岸へ渡ろう」との言葉だ。御言葉は100%成
就するのだから、途中経過で何があろうと、必ずその通りに実現す
る。

何があろうと、向こう岸へ渡れるのだ。そして主が乗られた舟が、
どうして沈む事があり得ようか。沈む事の方が不可能だ。しかし私
たちも、試練の中で、まさにこの舟が沈む事を恐れている。自分の
人生がだめになってしまう、子供がだめになってしまう、何もかも
がおしまいだ・・真っ暗闇に落ち込む。しかし主の舟が沈む事は有
り得ない。

主は「黙れ、静まれ」と風をしかりつけ、一瞬にして湖を静められ
た。風はやみ、大なぎになった。そして弟子たちに「信仰がないの
はどうしたことです」と、嵐の問題でなく、信仰の問題だと言われ
た。あなたも今、弟子たちのように大嵐の中だろうか。試練に会っ
ているだろうか。しかし必ず向こう岸に着ける。試練を乗り越えて
行ける。主が同船されているのだ。主に信頼を置いていよう。
-----------------
嵐の中を動揺せずに渡りきる信仰はないが「黙れ、静まれ」と嵐を
鎮めてくださる主を知っている。なんと感謝なことか。この主が共
にいてくださるので、試練の中も主を頼みに越えていける。