2019年11月18日(月) 「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます」詩篇130:5
「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます」詩篇130:5
信仰生活で、難しい事の一つが「待つ」ことだと言われる。すぐに 結果が欲しい。願ったものをすぐに手に入れたい。ファーストフー ドを食し、自販機からは、即、飲物が出て来る。コンビニは24時営 業で、すぐに入り用の物が手に入る。各自が携帯を持ち、個人同士 で連絡も取れる。世界中リアルタイムでメールが行き交う。 便利な時代になり、即、欲しい物が持てるので、「待つ」事は非常 に難しい。信仰生活でも、すぐに行動したいし、すぐに目に見える 結果が欲しい。しかし主は、主の御前に座し、静まり、じっくり祈 り、御声を聞いて、導きを確信して歩めと言われる。忍耐が培われ る時だ。御言葉を求め、導きを求め、確信を得るには、じっと御声 に耳を傾ける時が必要で、祈りが必要だ。 そうでなければ、自分の思いと力で、自分の判断で行動してしまい、 必ず失敗してしまう。つまずいてしまう。誰しも肉の欲があり、肉 の思いは、自分の都合の良いようにやりたい。しかしそれなら肉に 従い、サタンに従う事になってしまう。神の栄光どころか、逆にサ タンに用いられてしまう。あなたにも今、待ち望む事が必要であり、 求められているだろうか。 悪魔は焦らし、急かし、神はじっくり導かれる。焦りは悪魔の誘惑 だ。肉の思いに走らないために、悪魔に欺かれないために、じっく り主を待ち、御声に耳を傾けよう。必ず御声をかけ、確信与え、御 心の道へと導かれる。それは平安な確かな道だ。 ------------- 便利で合理的、何でも遅いより早い方が良いとの価値観にどんどん 押されてしまう。祈ることも聖書を開くことも御霊の導きを確信す ることにも時がいる。主を待ち望むという焦りのない歩みをしたい。