2019年12月19日(木)

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば・・あなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」マルコ11:26


神を信ぜよ。祈って求めるものは、すでに受けたと信ぜよ、その通
りになると言っている。そして、それに続き、誰かに恨みがあるな
ら赦すようにと、赦しが強調されている。赦さない心は祈りを妨げ、
遮断してしまう。私たちはよく失敗する。だが主は、豊かに赦し続
けて下さる。罪を犯さないのでなく、罪は犯してしまうが、赦され
て〃生きている。

赦され続けているのだから、私たちも赦すべきだと。恨み憎しみが
あると祈れなくなる。とがめがあり、主との間に隔たりができ、確
信もった祈りができない。ある人が切実な必要があり祈っていた。
幾ら祈っても答えが無い。尚も祈るが導きが来ない。そんな中で、
ある人の仕打ちに、恨み憎しみが奥底にある事を示された。

これが妨げとわかり、悔い改めてその相手を赦した。その後、見事
に祈りが答えられた。ある人は友人と言い合いになり、喧嘩別れに
なった。帰宅し、祈って奉仕の準備をするのだが、出来ない。自分
は悪くない、相手が悪いと思っている。だが平安が無く心重い。御
霊に探られ示され、電話し、自分の側の悪い態度は謝った。

すると相手も平安無く、謝りたいと思っていたと。即、和解となり
平安が戻った。そして導かれて準備が出来た。何とその奉仕は素晴
らしく祝福された。赦さない心は、祈りを遮断してしまう。答えを
受け取るために、密かな恨みが潜んでいないかどうか、御霊に探っ
て頂こう。

そしてあるがままの心を祈りに持って行こう。主は取り扱い、助け
て下さる。自分の心に責められなければ、大胆に御前に出ることが
でき、求めるものは何でも神からいただける。豊かな祝福にあずか
れる。
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人を恨み裁くといつまでも心に平安がない。主の平安を受けるため
まず赦せるようにと祈ろう。主よ赦してくださいと祈る前に、人を
赦せるように祈ろう。