2020年01月19日(日) 「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初め の雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、 シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初め の雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、 シオンにおいて、神の御前に現われます」詩篇84:6
人生において、平穏無事がすべてなのではない。辛い事や苦しい事、 理解に苦しむ事が必ず起きる。そこには「涙の谷」があり、悲しみ にくれることがある。未信者にも信仰者にも同じ事が起きる。しか し違うのは、信仰者は、どんな悲惨な事、どんな悲しみと苦しみの 中も、そこに神を認めて行く。 そのまっただ中に神がおられ、そこでこそ、まことに生ける神の愛、 真実、慈しみ、助けを実際に体験して行く。 神を信じない人はどんな奇跡的な事があっても、そこに神を認める 事は決して無い。信仰者はどんな出来事が起きても、そこに神を認 めて行く。信仰を持つと悩みが無くなるのではない。次々と問題や 困難は来るが、神を信じているから、そこを「泉のわく所」として 行く。 その悩みの中に神を見、その中で神に出会って行く。だからこそ涙 の谷も、神を深く知る機会とされる。その泉は溢れ出て、周囲の人 も潤して行く。そして、「初めの雨もまたそこを祝福でおおい」そ こに祝福の雨を降らせて下さる。「彼らは力から力へと進み・・神の 御前に現れます」 悲しみと苦しみに沈み込み、失望落胆し、沈み埋もれてしまうので なく、主から上よりの力を受けて、必ず前進して行ける。その悲し み苦しみの中に、主が現れて下さり、親しく交わることができる。 涙の谷を通るが、そこには主がおられ、信仰者にはどんな時にも、 光があり、希望がある。 ・・・・・・・・・・・ 苦しみ、悲しみを通るがそこに主がおられ、そこで主と出会うので、 主の愛や、主の慰め、主ご自身を深く味わい知ることになる。問題 の中にかかわらず、不思議な平安を経験する。苦しみ悲しみの時も、 まっすぐ主の御前にいよう。必ず祝福でおおって下さる。