2020年04月18日(土) 「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が 来て、刈り取ることになります」ガラテヤ6:8
「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が 来て、刈り取ることになります」ガラテヤ6:8
「思い違いをしてはいけません」とあり、私たちは思い違いをして しまうが、人は蒔いたものを、刈り取ると言っている。これは法則 であって、例外は無い。朝顔の種を蒔いて、スミレの花が咲く事は 無い。朝顔の種は朝顔の花だ。蒔く種は正しくその花が咲く。霊的 な原則も同様だ。例外は無い。 しかし、「時期が来て、刈り取る」とあり、すぐにその場で結果が 出るのではない。だから思い違いをしてしまう。悪い種を蒔いても、 すぐに悪い結果が出ないので、どうって事ないと、たかをくくり、 主を侮ってしまう。私たちは日々の生活で、絶えず、御霊か、肉の どちらかに蒔いている。御霊に従って生きるか、肉の欲に従い、自 分の思い通りに生きるか、どちらかをしている。 人へ愛と親切の種を蒔けば、喜びと主からの報いを刈り取り、自分 にも愛が返る。祈りの種を蒔けば、祈りの答えを刈り取り、宣教の 種を蒔けば、魂の救いを刈り取る。献金の種を蒔けば、豊かな物質 的祝福を刈り取る。又、肉に従い、悪意と憎しみの種を蒔けば、そ のように刈り取る。「善を行なうのに飽いてはいけない」「失望せ ずにいれば、時期が来て、刈り取ることになる」と。 善を幾ら行なっても目に見えるところ、結果が無いように見えて、 時に、うみ疲れるかもしれない。宣教の種は特にそうかも知れない。 しかし神の時が来た時に、必ず刈り取る。だから失望せずに、蒔き 続けるようにと言われている。祈りの種も蒔き続けよう。 ・・・・・・・・・・ 蒔いたものを刈り取る。これは法則なので例外が無い。「時期が来 て」を信じていよう。地道な祈りを積む事、結果がすぐに見えず とも宣教を続ける事、示された御心を行なう事、すぐその場でなく とも、必ず収穫を刈り取る。肉でなく御霊に従えるよう祈っていよ う。