2020年08月19日(水)

「・・そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による 神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません」 Tテモテ1:4




ある時、若いクリスチャンたちの交わりで、他愛ない事で議論にな
った。どうでも良いような事なのに、ああだ、こうだと、それぞれ
が強く主張し合い、その内に険悪な空気になってしまった。帰宅し
ても、何だか心がザラついて、嫌な気持ちで平安がない。どうでも
良いような事であったのに、どうしてこうなったのか。主に祈っ
た。

そして御言葉に向かっていると「果てしのない空想話と系図とに心
を奪われたりしないように・・そのようなものは、論議を引き起こ
すだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものでは
ない」とピッタリだった。議論になると平安が失せる。それは信仰
の名のもとに、神から離れて、実は自分の正しさを主張し始めるか
らだ。

自分の主張の方が正しいと、負けなくないとの思いになり、相手を
打ち負かしたくなる。何が目的なのかがわからなくなってしまう。
「自分の言っていることも、強く主張していることについても理解
していません」の通りだ。ここから徒党や分裂が生じる。「きよい
心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としてい
ます」。

私たちは「愛」が目標だ。愛から離れてしまい、「この目当てを見
失い、わき道にそれて無益な議論に走」りがちだ。向上のための建
設的意見交換は必要で、良い事だ。動機が、肉から出る自己主張の
ためか、それとも愛であるのか、このところに目を向けていよう。
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いつでも自分は正しいと主張して退かない人に、誰も近づきたくは
ない。議論の先に主の証しと平安があるかを見極めて、よく祈って
無益な議論から自分自身を守ろう。