2020年09月18日(金) 「『ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた』」マルコ10:47
「『ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた』」マルコ10:47
エルサレムから25キロほどの所にエリコがある。主がエリコを出ら れると、盲人バルテマイが、道ばたにで物乞いをしていた。イエス だと聞くと大声で「私をあわれんでください」と叫び始めた。大勢 でたしなめても、止むどころかますます「私をあわれんで下さい」 と叫び立てた。 目は見えないが、この方の事を、人々が話すのを耳にしていたろう。 この方なら目を開ける事ができると信じたからこそ、何があろうと、 ひるまず諦めず叫び続けた。人目など気にならなかった。主へのそ の真剣な熱心な求めが、「あの人を呼んで来なさい」との主の言葉 となった。彼は「上着を脱ぎ捨て」「すぐ」立ち上がって主のもと に来た。 上着はガウンみたいなもので、毛布や敷物にもなり、大切な生活必 需品だった。施し物を受けるためにも必要で、上着を地面に広げ、 大事な商売道具でもあった。その上着を「捨てた」という事は、絶 対に癒されるとの確信を持っていた。又、盲人であり、物乞いで生 きる一生になる事への諦め、それはそれなりの安住があったろう。 それをもかなぐり捨てた。 そして信仰をもって、主に拠りすがり、願い求めた。この方なら絶 対に目を開けて下さると。その通りに目が開かれて、全く新しい人 生の一歩を踏み出した。それは目が開いて万々歳で、自分の好きな ように、思い通りの人生を歩み出すためでなく、主の行かれる所に ついて行き、一生涯を主に献げ、主に従って行くための一歩だった。 ---------- これを失ったら大変だというものが、主との歩みの邪魔になってい ると気づいたら、何度でも捨てて主にすがりつこう。新しく目が開 かれ、恵みの賜物がよく見えるようになりたい。