2020年11月18日(水)

「ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ」T歴代11:17



ダビデがアドラムの洞穴にいた時だった。喉が渇き、しきりに故郷
ベツレヘムの井戸水が飲みたくなった。それで、故郷の水が飲みた
いなあと、思わず口にしてしまった。しかしそこは、敵であるペリ
シテの陣地になっていた。そしてアドラムとベツレヘムは、かなり
の距離がある。

にもかかわらず、三人の勇士が命がけで、敵の陣営を突破し、何と
ベツレヘムの井戸から水を汲み、ダビデに持ち帰ったのだった。
ダビデに命令されたわけではない。ただダビデの願いを叶えたい一
心だった。それが喜びであったからだ。ダビデを愛するゆえであり、
忠実な部下たちであった。ダビデはどんなに嬉しく、感動した事で
あろう。それを決して飲まず、主に注ぎ献げ、地に流した。

これは命をかけた人たちの血だから、こんなに犠牲が払われたもの
を飲めないと。ダビデの礼拝行為だった。しかしせっかくの水を何
と勿体ないと思うだろうか。マリヤが主の葬りのために、300デナリ
の高価なナルドの香油を惜しげもなく、すべて主に注ぎきった時の
ようだ。弟子たちは香油を何て無駄にするのかと、憤慨して彼女を
厳しく責めた。貧しい人たちに施せるのにと。

しかし主はマリヤの献げものを受け入れ、非常に喜ばれた。立派な
ことをしてくれたと。福音が語られる限り、彼女のした事も語り告
げられると。私たちの行為、献げものは、主に献げられているもの
である事を、今一度覚えよう。主はその献げものを喜んで受け取っ
て下さる。
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高価な香油ではなくても、主のために主を愛するゆえに小さな行為
も献げていこう。その動機を主が喜んでくださり、何より自分の心
も喜びにあふれる。