2021年03月19日(金)

「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」イザヤ53:5



ある夫婦の子供が、早産で生まれ、育たずに亡くなってしまった。
医療も今のように進んでいなかった。しかし夫は、後悔で、くずお
れた。大変若くして結婚したので、まだまだしたい事も多く、遊び
たくもあった。そのため妻の妊娠に拒否反応で、喜べなかった。夫
婦で楽しみにしていたあのスポーツ、この旅行、様々キャンセルと
なった。

数々の制約に欲求不満で、子供はいつかは欲しいが、しかしもっと
先で良かったと、ずっと不満だったのだ。楽しくなかった。そのた
め子供が亡くなった時、子供が死んだのは自分のせいと、自分をひ
どく責めて苦しんだ。後悔で涙が止まらなかった。

幾ら周囲に、あなたのせいではないと、慰められても、そのとがめ、
罪責感は無くならず、胸の痛みはどうにもならなかった。ずっと引
きずり、心に影を落とした。その後、主に出会い、苦しみ、後悔、
とがめ、思いの何もかもを告白して行った時、初めて心のいやしを
経験した。あんなに苦しかった心に平安が満ちた。

ある人は、辛い対人関係があり、余りに辛く当たられ続け、それは
恨みとなって心に積もった。心は憎しみで一杯で、重苦しく、辛く
てたまらなかった。主は、少しづつ〃手を取って導いて下さり、相
手はどうであれ、自分の憎しみや怒りは、自分の責任と受け止め、
悔い改めに導かれた。

その時に、あれほど苦しかった心に平安が臨んだ。この平安は何も
のにも代えられない平安で、感謝が溢れた。
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苦しい時、主を呼ぶ以外に何が出来るだろう。何処にいても主は御
霊を通して教え、導き、満たしてくださる。あの苦しみがあったか
ら主と出会えたと心から言える日がくる。