2021年07月19日(月)

「どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください」マルコ14:36



信仰人生で大きな試練、厳しい試練、様々な試練に出会う。一つ一
つの試練は主によって与えられた杯で、御父が下さったものだ。目
の前の状況でなく、背後の主を見ることが必要だ。その試練に反抗
し、反発することは、剣を振り上げ向かって行くことだ。今、目の
前にある試練は主から来ている。

主イエスは、ゲッセマネの園で血の汗を流し祈られた。十字架を父
の御旨と厳然と受け入れられ、従われた。嫌々、しぶしぶ仕方無し
にではない。「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。
わたしが自分からいのちを捨てるのです」「自分から十字架の上で、
私たちの罪をその身に負われました」主は、罪を負い、自ら命を捨
てることを選択された。

受動でなく、能動であられた。だから、主は命を取られるのでなく、
自ら捨てられた。父の御心を行なわれた。だから、試練に飲み込ま
れるのでなく、試練の中でコントロールする事ができた。二つの選
択がある。嫌々の態度で、試練にほんろうされ、不平不満で一杯で、
苦しいばかりだろうか。

試練を受け止め、くびきに頭を入れ、しっかり負うなら、くびきは
辛く苦しいものでなく、心地よく平安を与えられるものとなる。試
練をしっかり受け入れるなら、誰も損なう事が出来ない。悪魔の働
く隙と足場が無くなってしまう。私達の姿勢はどうだろう。
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試練を受け止める体勢で向かっていくならどうだろう。そのために
気をつけるべき事や有益なものは何かと、祈る課題も変わる。逃げ
る事に向かっていた思いを主に向け、主から学ぼう。