2021年10月17日(日)

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩い た」使徒8:4



エルサレム教会に激しい迫害が起きた。それでユダヤやサマリヤ地
方に信徒たちは散った。サウロは神のためと信じ、熱心にクリスチ
ャンを捕らえ、投獄していた。そしてステパノを殺す事に賛成して
いた。ステパノの聖霊に満ちた力ある証しを目の前にし、サウロは
更に憎悪と敵対心に燃えた。

イエスを神とし、救い主とするクリスチャンは絶対に許せない存在
だった。怒りと敵意、憎しみは増幅し、殺害の意を固くした。ステ
パノの厳粛な殉教により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂った。
サウロは、教会を次々と荒らし、家々に入っては、容赦なく人々を
引きずり出し、投獄した。そのため信徒たちは、四方に追われ、散
らされて行った。

皆が、散りじりバラバラになってしまった。ではこの厳しい苦難で、
信徒たちは失望落胆、意気消沈して、教会は壊滅して行ったのか。
そうではなかった。あちこちに散らされた信徒たちは、「みことば
を宣べながら、巡り歩いた」。主も「彼らがこの町であなたがたを
迫害するなら、次の町に逃れなさい」と。結果的に、迫害による離
散によって、返って福音が拡大する事になってしまった。

信仰の火が消えるどころか、ますます燃え上がり、福音が四方八方
に拡がって行った。私たちも「なぜこんな事が」「なぜ突然こんな
苦しみが?私に?」と負の事態が起きる。しかし一見、マイナスの
その事が、思いを越えた大きな祝福へと結実して行く。信仰が強く
堅くされ、成長へと導かれる。

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激しい迫害という一見、苦しみである負の出来事が、結果的には福
音がどんどん拡大するという大きな祝福とされて行った。私たちに
も痛い事、辛い事が起きるが、主により必ず祝福へと導かれる事が
見せられる。主に在って、何があっても光があり、希望がある。