2003年01月19日(日)

「罪を犯した者は、その者が死ぬ」(エゼキエル18:4)

今のこの世の考え方では、個人の責任を問わない。
育った環境、遺伝、親の育て方、社会が悪いと言う。
青少年が犯罪を犯すと、必ずマスコミは親を問題に
し、生育歴を問題にする。まるで、罪を犯した当事者
は被害者のようだ。しかし、神は、はっきりとこういう
問題に対して、個人の責任を強調している。責任
転嫁は間違いだと。すべての人は、自分の罪に対して
責任がある。御言葉は私達が環境の犠牲者だとは
教えていない。私達は将来、何もかもをご存じの聖
なるお方の前で、罪についての申し開きをする事に
なる。自分の罪については、自分に責任があり、
問われる。誰一人言い逃れはできない。しかし、
唯一の希望は、自らの罪を認め、主イエス・キリスト
に頼る事だ。罪無きお方が、罪を引き受けて下さ
った。このお方にすがるなら、無罪放免。罪無しと
の宣告を受けるには、自らの罪を認める事だ。