2022年09月18日(日) 「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:23
「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:23
モーセに導かれ、イスラエルの民はエジプトを出たが、その時、男 子だけで60万人、女子子供を入れると200万ほどだろうか。大変な 数だ。葦の海から旅立ち、3日間荒野を歩いた。水が見つからず、 水を探した。マラでようやく水を見つけたが、それは苦くて飲めな かった。そのいら立ちと不満はモーセに向かったた。 「私たちは何を飲んだらよいのか」と。モーセの素晴らしいところ は、それを自力で対応せずに、まず主に持って行った事だった。 モーセが祈ると一本の木が示された。それを水に投げ入れると、水 は甘くなり、その水は民を潤した。「その所で彼を試みられた」と あり、民だけでなく、モーセへの試みでもあった。 試練の中で、主の御声に従うかどうかを試された。民はエジプトを 出て、まっすぐ行けば、カナンまで2週間程だが、あえて荒野へと 南下させられ、40年間荒野をさまよった。これは、主が民を様々な 試みを通し、訓練し整えるためだった。信仰を成長させ、主に従っ て生きる事を身につけて行く、実地訓練であり、その歴史だった。 私たちも荒野を通る。様々な苦しい問題や悩みを通り、試され、砕 かれ、練られ、鍛えられる。そして信仰者として整えられて行く。 主を信じ、御言葉によって生きる事を培われて行く。その荒野の間 中、主はずっと天からマナを降らせられた。主に従うなら、必ずす べての必要が、満たされる事を見せられる。 ・・・・・・・・・・・・ 主は試練と共に、脱出の道をも備えて下さっている。主のサポート は万全だ。日々の天からのマナと共に、道中ずっと昼は雲の柱によ って導かれ、夜は火の柱で照らされた。目の前の問題に飲み込まれ ず、主を仰いで、主の視点に立てるよう祈ろう。