2022年10月19日(水)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主は あなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6 


信仰人生の中で、私たちは様々な苦しみや悲しみを経験する。な
ぜ、どうしてと、わけのわからない、理不尽な事が起きる。病気や
けが、経済的苦境、対人関係の悩み等、それらはクリスチャンもノ
ンクリスチャンにも同じように起きる。しかし神を信じる人々は、
どのような出来事の中にも主を認めて行く。

辛く苦しい出来事の中にも、主を認め、そこに主がおられ、主の
愛、主の慈しみを経験し、主のご計画があることを学んで行く。神
を信じない人は、どんなに素晴らしい喜ばしい出来事があっても、
そこに神を認める事はないし、感謝する事もない。それらはすべて
偶然であり、ラッキーなものだ。そこの違いだ。

私たちは、苦しい事にも、思い通りでない事にも、そこに主を認め
る。つまり行く所どこにおいても、起きる出来事に主を認め、主を
見て行く。別の箇所に、辛い涙の谷を過ぎる時にも、そこを泉の湧
く所とするとある。

涙の様々な出来事を通るが、そこでこそ主の真実や、愛や、恵みを
知ることができる。そこで、新たに主に出会って行く。主を知り、
この世の喜びでなく、御霊の喜びを味わって行く。そして、あらゆ
る道において、出来事において、主を認めて行くなら、私たちの道
をまっすぐにされる。

まっすぐにとは、道が自分の思い通りになるのではなく、心に世の
ものではない、主の平安が与えられることだ。主の平安は、何にも
代えられない。状況がどうであろうと心に平安があるなら、問題で
無くなってしまう。
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全てが主の最善の導きだと認めて生きられるのは、何と自由で平安
な歩みだろう。嬉しい時には賛美を、悲しい時には祈りを主に持っ
ていける。思い通りにならないところを通って主に出会えた幸い
だ。