2022年11月18日(金) 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もな い喜びと思いなさい」ヤコブ1:2
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もな い喜びと思いなさい」ヤコブ1:2
多くの人々からよく証しを聞く。この苦しみ、あの悲しみがあった からこそ、主に出会えたと。もし、あの苦しみ、この行き詰まりが 無ければ、辛い出来事が無ければ、主を求める必要が無かったと。 あの悩みがあったから、慰めが欲しくて、指針が欲しくて、教会を 訪ねた。そして主との真の出会いを経験した。 自分から苦しみなど求めないし、求める必要も無い。だが、人生で 試練は必ず来る。これは、誰も避けることができない。私たち一人 一人もどうだろう。救われた後も、現在まで、あの苦しみがあった からこそ、主の愛を知り、真実を知った。あの悲しみがあったか ら、主の慰めに触れた。新生してからも、順境の中では、満たされ ているので、なかなか主への求めが無い。 「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と言わるが、肉は神を求 めない。順境の時には、感謝も忘れ、自分で生きて行く。自分の力 でやって行けるからだ。試練の最中は、ただただ苦しいばかりに思 える。だが、必ず脱出の道がある事、今はわからなくとも、必ず益 とされる事、これがあったから、自分は変えられ、沢山の事を学べ たと必ず後に言える事・・それらを心に、祈りを深めて行こう。 詩篇記者は、苦しみに会ったことは、幸せだったと証ししている。 そこで主を知ることができ、沢山の事を学べるからだ。苦しみは苦 しみで終わるのではない。試練を通して、一段階〃と成長させて下 さる。 ------------ 試練の時に自分しか頼ることができないとしたら何と悲惨だろう。 苦しみは苦しみで終わらない。現実の主を知り、主の力を新しい力 として歩みだせる。主と共いる幸いを知っていける。