2023年01月19日(木)

「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたし は、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている」 T列王17:9



エリヤは、主の示しでケリテ川のほとりにいたが、日照りで、川の
水が枯れた時、次にツァレファテへ行くように命じられた。やもめ
により養うと。主に言葉に従い、その町へ行くと、やもめに出会っ
た。そこで彼女に水とパンを頼んだ。すると、何という事か、彼女
はエリヤを養える資産家などでなく、最後の一握りの粉でパンを作
り、母子で、最後の食事をして死のうとしていると言う。

極貧のやもめであった。エリヤは何と思ったろう。目の前の人物
は、人を養う事など不可能だ。しかし助けを求めなければならな
い。何という状況だろう。人間的に考えるなら、その最後のパンを
自分にくれとは、とても言えない。しかしエリヤは見える状況でな
く、情や自分の思いでもなく、御言葉に従った。ただただ、主に言
われる通りに従った。

まず私に小さなパンを作り、その後にあなた方のために作るように
と。そうするなら、飢饉が終わるまで、粉は尽きず油は無くならな
いと。人の思いや情は、神のみわざを妨げる。エリヤは御言葉に立
ち、「あなたの神、主は生きておられます」と言った彼女は、その
言葉に従った。

すると奇跡が起きて、やもめと息子は飢饉のまっただ中で、豊かに
養われる事になった。神を第一にする時、みわざを見る。自分の思
いや情、見えるところが反対方向を向いていても、神の言葉を選択
し、従おう。その時、神が全責任を取って下さる。
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御言葉と状況が違う時、すぐにああだこうだと理屈を考えて素直に
従うことができない。御言葉と常識はいつも違う。素直に主を頼り
従いたい。主は喜んでくださる。