2023年02月16日(木)

「そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れ た。それは一コドラントに当たる」マルコ12:42



主が、人々が献金する様子を見ておられた。金持ちたちが、次々と
大金を投げ入れていた。そこに貧しいやもめが来て、レプタ二つを
入れた。極めて僅かなお金だ。しかし主は、この女性がどの金持ち
よりも沢山献げたと言われた。献金の額を見られたのでは無かっ
た。皆は有り余る中から献げたが、彼女はあるだけ全部を献げた
と。

彼女はレプタを二つ持ち、その一つを献げても良かった。もう一つ
で、翌日何か買えたかも知れない。しかし彼女の主への溢れ出る感
謝は、すべてを献げる行為となって表れ出た。献金とは献身だ。そ
れは自分自身を主に献げる事であり、主は明日からの必要も与えて
下さる事を信じたからだった。

主はその信仰を見られ、受け取られた。古い性質は、自分が第一
だ。何より自分が大切で、自分を守り、自分のために確保しようと
する。金持ちのように有り余る中から少しは献げるかもしれない。
しかし、私たちも、古い価値観にあるかも知れない。神第一と言わ
れるが、まず自分を守ろうとする。

自分で自分を守るので、どこまで行っても不安は尽きず、思い煩い
に囚われ、平安がない。自分で何とかしようとするので、ますます
思い煩うばかりだ。そうではなく、まず主を第一にして行く時、主
がすべての必要を備えて下さるので、心は思い煩いから守られ、平
安と喜びが臨む。
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いつの間にか主と一緒に多くの何かに頼って生きている。それが無
くなったらと不安もついてくる。何があっても主が守ってくださる
と安堵した気持ちを取り戻したい。一つ一つ明け渡して行きたい。