2023年06月18日(日) 「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄 弟としてです・・ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、 私を迎えるように彼を迎えてやってください」ピレモン16
「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄 弟としてです・・ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、 私を迎えるように彼を迎えてやってください」ピレモン16
ピレモンへの手紙は、ローマの獄中でパウロが、ピレモンに宛てた 書簡だ。オネシモは、ピレモンの奴隷だが、主人のもとで盗みをし、 逃亡した。ローマまで逃げたが、捕まり投獄となった。だがその ローマでパウロに出会い、回心した。信仰者になったオネシモは、 獄中でパウロに仕えていた。 パウロは、オネシモの事を「獄中で生んだ我が子」と言っている。 以前は役に立たない者だったが、今や「役に立つ者」だと。本物の 悔い改めだったようだ。だがピレモンの奴隷なので、パウロは機会 を見て、オネシモを主人ピレモンのもとへ返したいと思っていた。 そのためパウロは、ピレモンに、オネシモを赦して受け入れてくれ るよう、へりくだって執り成している。 弁償はすべて自分がするからと。奴隷オネシモは、取り返しのつか ない罪を犯した。本来なら、逃亡奴隷は死刑だ。しかし神の側に立 つと、全く違う見方になる。そこには神の摂理があって「しばらく の間あなたから離されたのは、あなたが彼を永久に取り戻すため」 となる。 何という大いなる赦しとあわれみだろう。何と希望がある事だろう。 愛なる主のもとでは、人生が全く変わったものとなってしまう。人 間の失望の時は、神のご計画の時と言われているが、万事が、主の 御手の中で益とされ、栄光と導かれて行く。驚くばかりだ。 ・・・・・・・・・・・ オネシモを通して、完全な赦しを見せられる。「もはや決して彼ら の罪と不法を思い出すことをしない」と言われる主。主の視点に立 つ時、人生が全く変わってしまう。主のあわれみは尽きない。日ご とに新しい。あわれみの中で、生かされている何という幸い。