2023年11月18日(土)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに 来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11:28


ある人の証しだ。後輩から対人関係の悩みの相談を受けた。
状況を見定め、解決へのアドバイスをしたいと思い、それで相
手が話すしりから、「それは、君もちょっと問題だよ」「君のその
言動はまずいよ」と、良くない点を正すべく指摘し、話を折って
しまった。又、「それは、〜した方が良かったね」「もっと別の言
い方をすべきだったね」と、〜こうすべきだと、次々話す。

自分では、解決を図ろうと助言したつもりだった。しかし、つい
に相手はキレてしまって、「先輩は、何も聞いてくれない!あれ
が悪い、これが悪い。ああしろ、こうしろと、正論ばかりを言っ
て、気持ちが全然休まらない。もうイライラする」と親しい間なの
で本音を言ってくれたのだが、大変なショックだった。

確かに、自分は第三者で、客観的に何が正しいかがわかるの
で、答えを言い続けていた。彼の辛い気持ちに寄り添うなど全
く無く、そこに気づきもしなかった。実際は、正しさを押し通し、
押し付けてしまい、荷を軽くするどころか、更に重荷を負わせて
しまっていた。

これではパリサイ人ではないか。主のお心と何とかけ離れてい
た事だろう。私たちが自分の正しさで、相手を苦しめていない
かと言われる。主は、まさにその重荷を取るために来て下さっ
た。
周囲から「良い人」と言われて生きてくると、いつしか自分は正
しいと思ってしまう。正論は、誰しも言われなくてもわかっている。
しかしそれが出来ない、そこが問題なのだ。共に主のもとに行き、
主を仰ぎ、一緒に祈って行く事を教えられた。

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日常生活で、正しい事、なすべき事はわかるのだが、自我が
あるため、妨げとなり、行なうことができない。そんな悶々の
中で、いつも主が疲れた者を招いて下さる。主のもとで取り扱
われ、休ませられる。平安とされる。