2024年02月17日(土)

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできま せん。」ヨハネ3:27



主イエスが、群衆からもてはやされ、群衆の人気が、ヨハネから主
へ移って行った。ヨハネの弟子たちは「みなあの方のほうへ行きま
す」と、自分たちの師の人気が落ちて来た事に、やっかみや、いら
だち、寂しさを感じていた。しかしヨハネは動じず、態度は立派だ
った。

自分はキリストではないと言明し、主が花婿であり、自分は花婿の
友で、花婿の声を聞いて喜びに満たされていると。ヨハネは喜びを
もって主に仕えていた。真に、主に仕える者は、喜びに満たされる。
そして、ヨハネの謙遜は学ぶべき姿だ。人との比較に生きる時、必
ず優越感と劣等感が生じて、その二つの間を行ったり来たりする事
になる。

職場の同僚の昇進、学生間での成績や人気、又、ライバルの成功な
ど、人と比較すると相手が優ると嫉妬する。肉のプライドが傷つく
のだ。人の成功は、自分の失敗のように感じてしまい、人がほめら
れると自分がけなされたように感じる。根にある高慢から来る。ヨ
ハネは主を認めて、へりくだった。

人の栄誉も、賞賛も、成功も、すべて主から来るものであり、主の
主権を認めたのだ。そして、自分の欲望を満たす事、誇りを満足さ
せる事でなく、主の与えて下さるもので満足した。ここが平安の秘
訣だ。不平も不満もなく満ち足りた心だった。御霊に支配された人
は、たとえ自分が認められず、評価されずとも、主の栄光が現わさ
れるなら、それを喜ぶ。
その人には、主ご自身からの溢れる喜びと、満ち足りた平安が与え
られるからだ。充分なのだ。

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心がザラついたり、穏やかでなくなり、平安が失せる時、プライド
から来ていないか、御霊に探って頂こう。自分が心の王座にいるゆ
えの事だろうか。主は平安を与えたり、取り去ったりして教え導い
て下さる。造り変えて行って下さる。