2024年07月19日(金)

「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その 私に悪が宿っているという原理を見いだすのです」ローマ7:21



原理と言うのは、法則のことだ。世界に様々な法則があるが、法則
とは、一つの例外も無く当てはまる事だ。一つでも例外があるなら
法則にならない。御言葉は、私たちの中に一つの法則があると言
う。「善をしたいと願うのに、悪が宿っているという法則」だ。パ
ウロは新生したので、善をしたい願いがあった。

信仰者には新しい性質があり、主に喜ばれ、主の御心に歩みたいと
願う。主を求め、主に従いたい。そのように私たちも、主に従い、
主の喜ばれる事をしたい。だが、それに逆行する法則が存在する。
「悪が宿っているという法則を見いだす」と。私たちの内には、罪
の性質がある。幾ら善をしようとしても、悪をしてしまう。どうに
もならない。

自力で、少しは善行をするが、必ず落下し、自己中心に歩んでしま
う。どんなにあがいても主に従えない。それを徹底して経験した、
パウロは「私は惨めな人間、誰がこの死のからだから救い出してく
れるのか」と叫んだ。「誰が」自力では不可能だと悟った。落ちる
ばかりだ。しかし、主を仰いだ時、解決を見た。

主は、悪が宿っている法則を、別の法則によって解決して下さっ
た。それは、「命の御霊の法則」だ。御霊に導かれる時に、積に落
下せずに、生き生きと喜んで主に従って行ける。御霊によって歩む
ことが答えだ。平安と喜びもって歩んで行ける、自分を明け渡し、
御霊に満たされて歩めるよう、祈ろう。
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頑張っても出来ず、また頑張ってしまう。出来ませんと御霊に従え
るよう祈ろう。自分の願わない事をしているなら、そこを明け渡し
なさいとの導きではないだろうか。主が喜んでくださる。