2025年03月19日(水) 「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって 来るが、うちは貪欲な狼です」マタイ7:15
「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって 来るが、うちは貪欲な狼です」マタイ7:15
主は、人を「裁くな」と同時に「見分けよ」と言われる。裁く事と、 見分ける事は別のことだ。識別し、評価し、判断せよと言われてい る。「裁くな」と同時に「聖なるものを犬に与えるな」と言われた。 現に犬や豚がいるのだと。それを見分けなければ、真珠を投げるな、 との主の命令に従えない。識別力の行使が必要だ。 又「霊だからといってみな信じるな」と言われている。終末には、 多くの偽預言者が現れる。羊のなりをして来るが、内は貪欲な狼だ と。何でもかんでも受け入れるのが愛ではない。霊を何でも信じる な。「鳩のように素直」で、且つ「蛇のようにさとく」あるべきだ と。では「裁き」についてだが、人を「裁いて」いる時は、自分の 内に密かな優越感がある。上に立ち、相手を見下している。 そして自分は義であり、善なのだ。又、相手の欠点や失敗に快感が あるなら、それは肉であり、裁きだ。それは「裁いてはいけない」 に反する罪だ。肉は、妬み、憎む相手の失敗を喜ぶものだ。又、肉 は批判が大好きだ。まるでシーソーのように、人を下げると自分が 上がると錯覚する。誰かに対する裁きがあるなら、悔い改めよう。 そして裁きと識別を区別しよう。 偽物を識別せよと言われている。光の御使いに偽装して来る偽クリ スチャンの識別を祈っていよう。悪魔からであり、彼らの目的は、 盗み、殺し、滅ぼす事だ。御霊によって見分けられるよう、絶えず 祈っていよう。 --------------- 何でも受け入れることが求められているように思いがちだが、危険 だと学べる。警戒し祈りが必要だ。実によって見分けられると主は 言われる。蛇のようにさとくを祈りたい。