2025年05月19日(月)

「・・しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません」 Uコリント12:5



パウロは、主から、とげが与えられていた。とげは、身を突き刺す
痛いものだ。どんなに苦痛だったろう。主は求めよと言われるので、
パウロは取り除かれるよう切に求めた。とげは働きの妨げとなり、
これが無ければ、もっと主のために自由に仕えられるのにと。真剣
に徹底的に祈った。しかし主からの答えは「ノー」だった。とげは
除かないと。

なぜなら、主の恵みは十分であり、除くよりそのままの方が、より
主の栄光が現われるのだと。自分ではどうにもならない「弱さ」の
中にこそ、主の力が完全に現れると。古い価値観は弱さを嫌う。こ
の世の価値観は、強さこそが善であり、優れていることだ。そのた
め強くありたい。だが神の力は「強さ」でなく、「弱さ」の中にこ
そ働くのだと。

私たちにも、弱さがあるだろうか。「これさえ無ければ、私の人生
違っていたのに」「こうでなければ、私は幸せだったのに」「この
人さえいなければ苦しまずに済んだのに」「何で、この人が目の前
に」困難に、何度も「これを、あれを取り除いて欲しい」と祈る。
難しい相手を、又、苦しい状況を変えて欲しい。辛くてたまらない、
その中で、パウロは切なる祈りをささげた。徹底的に祈った。

とげが与えられた時には、とにかくまず主に祈ろう。もし御心なら
取り除かれるし、御心ならそのまま置かれる。そしてその弱さの中
で、神の力と栄光が現わされる。その弱さに逃げずに、向き合う時、
キリストの力におおわれ、強ければ決して知ることのできない、主
の大きな恵みを知る。
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あの弱さも、この問題も、苦しむうちに、これがあるから高慢にな
らず主に頼れていると確信をもって言える。多くのことからも守ら
れている。主の最善を信じていこう。