2025年06月18日(水)

「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、 押し流されないようにしなければなりません」ヘブル2:1



信仰生活で、少しづつ〃流されて行く事に、気をつけよう。まるで
漂流のようだ。流されている事に気づけると、仕切り直しが出来る
が、気づけないまま流され、離れて行ってしまう。日曜に礼拝で、
世に流された1週間だったと気づく。なまぬるいまま、主を求めず、
過ぎてしまった。試練が無いなら、自力で生きて行けてしまうので、
主との交わりもおろそかなまま、流されてしまう。

又、「少しぐらい」は、巧妙なサタンの誘惑だ。主に従おうと思っ
ているが、「ちょっとぐらい、自分の好きにしていいのでは」と。
強い欲望ある時に「少しなら〜大丈夫さ」と、サタンの誘惑が来る。
そして乗ってしまい、御心からそれて行く。又、祈らずに、事を行
ってしまい、手痛い失敗をする。後に、必ず蒔いたものは、刈り取
る事になる。

ある日突然、主から離れるのでなく、少しづつ〃、知らず〃の内に
流されて、漂って行く。気がつくと、世にどっぷり浸かり、霊的食
欲も失せてしまっている。そうならないためには、「聞いたことを、
しっかり心に留めよ」と。「心に留める」は「錨を下ろす」ことで、
船がしっかり錨を下ろさないなら、波に流されてしまう通りだ。

主に祈り、御言葉に聞き、主と交わる生活、信仰の人々と交わり、
励まし合う歩み、この基本を、今一度、確認しよう。漂流は気づか
ない内に起きている。今、楽な方へと漂っていないだろうか。
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押し流す力があることを覚えていたい。信仰の漂流も、さまよって
いることも気づかない。日々、折々に主に祈り、御言葉を聞こう。
主に留まっていよう。