2025年07月19日(土) 「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜 びなさい」ピリピ4:4
「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜 びなさい」ピリピ4:4
御言葉は「喜びなさい」と言うが、「主にあって」と。「主 にあって、喜びなさい」と言っている。「外側の状況に あって」喜ぶのでは無いと。私たちは、ハピーな事、ラ ッキーな事、自分に益になる事があれば、喜ぶ。しかし、 外側のものでなく、「主にあって」の喜びだ。「あなたの 御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこ しえにあります」 「主は、私が動かされないように、私の右におられるか らである」「それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大い に喜んだ」と。外部の何かではなく、主ご自身を喜ぶ、 御霊から来る内側から湧き出る喜びだ。なぜ、「いつも」 喜べないのだろう。主との間に妨げが入ってしまう。困 難が来た途端、何とかしなければと、主が飛んで、自力 で解決しようとしてしまう。 その時、自分の肩に全重荷がかかり、重くて担えない。 それで思い煩いと不安でいっぱいになる。思い煩いとは 「心が分割されること」だ。主を見るのでなく、あの事この 事、あの人この人が気になり、心が分割状態だ。その結 果、喜びも平安も失せる。又、主は「弱さの内に、神の力 が完全に現われる」と言われたが、プライドが、その弱さ を決して認めたくない。 その時、内側は、悶々と苦しく辛いものとなり、喜びから ほど遠い。自らの状態に、御霊の気づきが与えられるよ う祈ろう。主にゆだね、主に信頼を置こう。今までどんな に良くして下さったか、その恵みを数えよう。そうして行く 時、喜びが戻り、心の奧の平安に気づかされる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 外側の出来事にそのまま反応し、アップダウンなら、いつ も喜んでいることは不可能だ。「状況にあって」、でなく「 主にあって」とあり、苦しみの時も、必ず良くして下さる との御言葉に立って、主を信じて行けるよう祈ろう。