2026年01月19日(月) 「イエスは、その木に向かって言われた。『今後、いつまでも、 だれもおまえの実を食べることのないように。』弟子たちは これを聞いていた」マルコ11:14
「イエスは、その木に向かって言われた。『今後、いつまでも、 だれもおまえの実を食べることのないように。』弟子たちは これを聞いていた」マルコ11:14
当時、道の野生いちじくは自由に食べていた。主が食べようとされ たが、実が無かった。後日、そのいちじくが枯れていた。これは実 が無く、主が腹を立て、木を枯らしたのでは無い。いちじくは、イ スラエルの象徴だった。「葉のほかに何もない」と言われたが、ユ ダヤ人への嘆きだった。 宗教指導者たちが、メシヤを拒否する事への警告であり、裁きだっ た。細かい儀式は、きっちり執り行なうが、心は神から離れ、大切 なものを見失っている。形式はあるが、中身がない。葉ばかりで実 がない。祈りの家が、強盗の巣になっていた。生きた信仰がない事、 実を結ぶ信仰について教えられた。 私たちはどうだろう。自分が変えられて行っているだろうか。実を 結ぶために、「神を信じなさい」と。山とは、不動だ。動くわけが ない。しかし、信じるなら、山が動くと。主にとり不可能は一つも ない。今、必要なことは「神を信じること」だろうか。信頼するよ うに促されているだろうか。 次に「祈ること」とにかく日常の目の前の一つ一つを、具体的に主 に祈ってみよう。祈りの中で自分が変えられて行く。そして「赦す こと」が言われている。人を恨み、赦さない心が、実を結ぶ事を妨 げてしまう。赦すことは困難で、人には出来ない事を、主はご存じ だ。しかし主には出来ると。 まず、祈りに持って行き、出来ないことを認めて、主に拠り頼み、 取り扱って頂こう。赦す心は恵みによって、与えられる。自分には 無いが、信仰を通して、主から来る。 ----------- 主を信じてからも、自分自身は少しも変わろうとしていないのでは ないか。よく吟味したい。出来ないことは、祈り、素直に従いたい。 自分自身を主に明け渡し、具体的に従っていこう。